当社の歩み HISTORY
津久井榮之助商店
昭和30年代、古い商家づくりの立て付けの悪いガラス戸を引き開けると、ひざほどの高さに造られた帳場床の、これまた年季が入った木胴の火鉢に手をかざして津久井榮之助が鎮座している・・・、懐かしい光景です。
記録・記憶に残る最初の屋号は、津久井榮之助商店。
津久井榮之助は明治13年・1880年生まれ。
明治・大正期にどんな生計を立てていたか定かに伝え聞いておりませんが、大正期の売買を記録した「大福帳」に大鍋・釜・鉄瓶などの記載があり、古物商的な下地はあったように思われます。
津久井芳藏商店
榮之助の子・津久井芳藏は大正10年・1921年生まれ、激動の昭和を生き抜き引き継ぎました。
太平洋戦争(第2次世界大戦ですね)で陸軍兵として中国に渡り、終戦後復員。家業に入っても戦後の物のない時代で、古物商的な商いだけで生きていける環境はなく「田んぼも畑もやった、リヤカーを引いて行商も買い出しもした」
この戦中戦後の体験が、榮之助とともに「物を大切にする心」を強く、家訓的に根付かせたのだと思います。
リサイクル業の始まり
昭和39年・1964年、東京オリンピック開催。経済に成長と変化の波が押し寄せ、古物商的商いから鉄屑・銅・真鍮・アルミ・ステンレスなどの金属屑、段ボール・新聞・雑誌などの古紙、といった再生資源物に移っていきます。
幸い価格的にも上昇安定し事業としての着岸地を見つけられた時代・・・今のリサイクル業の源流は、この前後といえるのでは。
産業廃棄物処理業
昭和から平成へ、また変化と多様性の時代でした。比較的安定性のあった再生資源物価格も、世界経済の荒波が打ち寄せるようになり大きな値崩れを繰り返し「産業廃棄物としての金属屑」という変性が生じました。古物商・金属屑商に加え、産業廃棄物処理業が必要条件となり資格を取得。今では、むしろ再生資源事業としてのすそ野を広げています。
明治・大正・昭和・平成、そして令和へ
こうした時代の変化の歴史の中で、多くのお客様・お取引先様・皆様方に支えられ平成11年・1999年、(有)ツクイとし、令和元年・2019年法人化20年を迎えました。あらためて御礼申し上げます。
未来、ますます世界経済の荒波が打ち寄せることでしょう。
しかし「物を大切にする心」という梶棒をしっかりと、新しいHistoryを作って行きたいと思います。
(令和元年・2019年11月)